ダークナイト・ライジングの公開前に…

Darknight

いよいよ日本では今週末に公開になるバットマンダークナイト・ライジング」。一足先に公開されたアメリカではとんでもない悲劇が起きてしまった。コロラド州の映画館での乱射事件で12人もの尊い命が失われた。犯人は前作「ダークナイト」での悪役ジョーカーを名乗っているという。まだ若い24歳の犯人は大変優秀な学歴で、家柄もとても立派だそうだ。アメリカ現代社会の問題や、精神や臨床心理など、おのおのの専門家ですら、これを語れば不毛なくらい膨大で難題な問題。まして小生がどうこう言うつもりはないしおこまがしいけど、日本でも(被害の規模が少ないとはいえ)同じ先進国として同種の事件が既に起こっているのは否定できないことであり、人ごとでは無い。いつどこでいきなり殺されるか分からない。単純に言えば発展途上国なら物取りで殺されることがあっても、日本や欧米諸国のようにこんな殺され方はない。物質的に豊かになったのに、自ら命を絶ったり、罪の無い無関係な大勢の人を殺戮したり、資本主義の先進諸国の抱える問題は人種や文化を越えて共通している。「資本主義という怪物が…」マルクスもそれを予期していたのだろうか。

話は少し逸れてしまったけど、バットマンはアメリカ人にとって、スパイダーマンやマーベル社のコミックなど、日本人が知る以上のなじみのあるアニメ、映画で、どちらかと言うとコメディ要素もあるキャラクター。映画(実写)でもマイケルキートンやシュワルツェネッガーなど、けっこうコメディやエンターテイメント要素が強い内容で、日本ではあまり受けなかったけど、クリストファー・ノーラン監督の「バットマン・ビギンズ」以降、シリアスでダークなバットマンになって、かなり次元が変わってしまった。僕もディカプリオと渡辺謙が共演した「インセプション」に衝撃を受けて以来、ノーラン監督のバットマンを見て、今まで敬遠していたバットマンに深入りするようになった。

特に前作「ダークナイト」は本当にダークで、今までいわばおちゃらけたバットマンの内容から正反対にシリアスになった。悪役が主役のバットマンを喰ってしまうのは変わらないのだけど、悪役ジョーカーの描写は見ていて暗鬱になるほどに、映画好きで今までいろいろ見てきた僕もこれほどすざましい悪役の描写は初めてだった。だから、今回の事件ではある意味残念ながら「なるほど」と思ってしまった。その悪の根底にあるのが現代アメリカ社会であるのがそれほどまでの描写に繋がっているのだろう。現代アメリカ社会の病理、つまりジョーカーを生み出した病理が共通、踏み込んで言えば共感したのが今回の乱射事件の犯人なのかなと思う。ニュースでうかがうと、当のクリストファー・ノーラン監督が一番困惑しているように感じる。

今回、アメコミヒーロー・バットマンによってアメリカ社会の深刻な状況を改めて思い知らされてけど、ノルウェーの乱射事件、日本でもバブル崩壊後のオウム事件や3.11など、次々に現代人に暗鬱な問題が乗りかかってくる。夢も希望もなくなるくらい。

そんな中、新作「ダークナイト・ライジング」ではそんな世の中で少しの夢や希望が見えるのか、そういう側面で楽しみだったりする。とにかく、たかがアニメのバットマンではない。大切なのはノーラン監督が賭けたバットマンを通じた映画で、アメリカの優秀な若者が大量殺戮した悲惨な事件を2度と起こさないことが大切なのだ。今回のクリストファー・ノーラン監督のバットマン3部作の最終となる「ダークナイト・ライジング」を見る人には、前作の2作は見て欲しい。特に前作の「ダークナイト」は必ずと言っていいほど。