SUPER AGURI F1から撤退

Yltjngeu
いろいろと資金面で危惧されていたが、ついにF1のSUPER AGURIチームがシーズン途中での撤退となってしまった。個人的には何とかなるだろう…と楽観していた。代表の鈴木亜久里もレーサー時代から”有言実行”で、明るく楽観的なキャラクターだったから、このような撤退というニュースはショックだった。
F1チームを立ち上げ、そして撤退となる3年間、ほどんど金策に走り回っていたという。ずっと金のことを考えていたというのは、これがプライベートチームがF1における現実なのだろうか。肝心のレースに監督して、勝利に導く以前に、このようにお金に振り回されてばっかりなのはとても悲しいことだ。
そして、佐藤琢磨やアンソニーという二人の有能なドライバーがF1で走れなくなったのはとても残念だ。
SUPER AGURIはスポンサーなど、いろいろと資金面で不幸なことがあったが、このような撤退を強いられた大きな理由のひとつは私を含めた日本人のF1やモータースポーツへの無関心があるのだろうと思う。90年代初頭にアイルトン・セナのハンサムな容姿と涙もろいキャラクターが日本人の琴線に触れ、また日本のバブル経済が良かったのもあり、F1ブームをもたらした。しかし、彼がいなくなってからは瞬く間にF1好きはいなくなり、日本人のモータースポーツへの関心は一気に失われた。そういう私も、アラン・プロストが好きだったが、彼の引退後はサーキットに足を運ぶことも無くなり、ネットのニュースで毎度グランプリの結果をチェックする程度になっていた。
佐藤琢磨SUPER AGURIが孤軍奮闘しているシーンは、ここ最近で他のどんなスポーツに勝るとも劣らない感動と勇気を日本人に与えるすばらしいものだった。特に、2007年では資金不足の小さなチームがまだ参戦間もないにもかかわらず佐藤琢磨により何度か入賞するという快挙は世界を驚かせたほどだった。それでも、我々日本人の関心はF1に向かなかった。
本来なら、この小さな鈴木亜久里率いるチームに日本の企業がスポンサーとして支援するのが理想なのだが、これほど日本でF1の関心がなければ誰もお金を出さない。また、バブルの頃のように今は企業も余裕はない。ビジネスだからしかたない。バブルの頃はそれこそ日本企業はマシンにでかでかとその社名を印していたのだが。
日本は飛び抜けて自動車メーカーが多い国で、世界一の性能を誇る車を多く作り続けている世界一の自動車大国なのに、車を作る国で一番モータースポーツへの関心が無い。
SUPER AGURIの撤退はとても残念に思うと同時に、一人の日本人として何もできなかった自分に少し罪悪感を感じてしまう。いつも楽天的だった鈴木亜久里代表が「疲れた…」と言っていたのは、ほんとうにどうしようもなかったのだろう。わずかな期間だったが、SUPER AGURIは近年のF1でとても印象的な活躍をした賞賛されるチームだった。